井上明がレジェンド始球式に登場!松山商業での成績や現在は?

今年の夏の甲子園では100回目の記念大会ということもあり、記念事業で甲子園の往年のスターが始球式を行う、「レジェンド始球式」が行われています。

この「レジェンド始球式」のトリとなる8月21日(大会16日目、順調にいった場合)の決勝戦では球史上初となる決勝戦引き分けとなった三沢高校、松山商業高校の両エースだった太田幸司さんと井上明さんの二人が始球式を務めます

甲子園球児の元祖アイドルとして女性から人気のあった太田さんと投手戦を展開した井上さんはまさに記録にも記憶にも残る選手です。

今回は井上明さんの松山商業での成績と現在についてシェアしたいと思います。

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井上明さんの松山商業での成績は?

井上さんは1968年、1969年と2年連続で甲子園に出場経験があります

当時の甲子園出場校は現在のように各都道府県最低1校以上が出場するわけではなく、地区ごとに分けられていました。

現在のような49代表制になったのは第60回の記念大会(1979年)以降であり、当時の四国は北四国(香川・愛媛)と南四国(徳島・高知)に分かれていました。

井上さんが2年生の第50回記念大会(1968年)では、同学年の中村哲投手との2本柱で甲子園に出場しました。

松山商業は1回戦で茨城代表の取手一高校を4-2、続く2回戦で佐賀県代表の佐賀工業高校を7-1で下しましたが、3回戦で三重県代表の三重高校相手に6-3で敗れました。

翌年の第51回大会では井上さんは制球力が武器のエースとして再び夏の甲子園に出場し、球史に残る名勝負を繰り広げたのです。

松山商業は1回戦で南四国代表の高知商業高校を10-0、2回戦で鹿児島県代表の鹿児島商業高校に1-0、準々決勝で静岡県代表の静岡商業高校に4-1、準決勝で北陸代表の若狭高校に5-0で降し、決勝に進みました。

決勝戦で対戦したのが、太田幸司投手を擁する北奥羽代表の三沢高校であり、制球力に定評のあった井上さんは速球が武器の太田投手と2日にわたる死闘を繰り広げました。

1日目は井上さんと太田投手ともに延長18回を共に1人で投げ切りお互い譲らず0-0の引き分け再試合となりました。

このときの井上さんの成績は打者67人を相手に232球投げ、10安打10奪三振6四死球という内容でした。

一方、太田投手は打者71人を相手に262球投げ、12安打13奪三振7四死球という内容でした。

最近、済美高校の山口直哉投手が延長13回(タイブレーク有)184球投げたことが問題になっていることを考えると今では考えられない球数ですね。

そして、再試合となった2日目も最初は井上、太田両投手が先発しましたが、松山商業の当時の監督だった一色俊作監督が中村哲投手との継投策を採ったことが功を奏し、4-2で松山商業が優勝を飾りました。

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井上明さんの現在は?

高校卒業後、太田幸司投手は近鉄バファローズにドラフト1位で入団しましたが、井上さんは明治大学に進学し、同校野球では投手・主将として活躍しました。

井上さんの六大学リーグの通算成績は41試合登板して11勝8敗、防御率2.33、55奪三振でした。

井上さんは明治大学を卒業後は社会人野球の三菱重工長崎に進みましたがすぐに退団し、1975年に朝日新聞に入社し、2011年に退社するまで主に高校野球を初めとしたスポーツ取材に携わる運動部記者として活躍されていました。

ネットの反応まとめ

甲子園決勝戦での太田幸司と井上明の始球式って決勝18回再試合のアレか
高校野球決勝のレジェンド始球式が三沢高の太田幸司さんと松山商の井上明さんというのが泣ける
井上明さんは後に朝日新聞の記者になったよね
当時の延長18回引き分け再試合を見ていた人には感慨深いだろう
まさに死闘と言える試合だったなあ
良い100回記念ですなあ
当時を知る人は懐かしくなるでしょうね
私が生まれた昭和44年に延長18回を投げぬいた2人
最終日が太田幸司と井上明っての本当すき、どちらもお元気そうなのがうれしい
松山商業の誇る投手といえば井上明と佐野慈紀!

決勝戦に太田幸司さんと井上明さんの始球式を持ってくるのはある意味必然なのかもしれません。

この2人以上に決勝戦の始球式で投げる往年のスターはいないと思われます。

後の記念大会では太田幸司さんと井上明さんではなく、同じく引き分け再試合をした駒大苫小牧と早稲田実業の両エース、田中将大投手と斎藤佑樹投手がレジェンド始球式をする日が来るかもしれませんね。