坂本佳一の現在は?バンビと呼ばれた理由と成績は?

今年は100回目の記念大会ということもあり、記念事業で「甲子園レジェンド始球式」が大会期間中毎日行われます。

今年の顔ぶれは開幕式の松井秀喜さんをはじめ、平松政次さんや谷繁元信さん、桑田真澄さんのようなプロ野球でも活躍した選手や早稲田実業高校と駒大苫小牧高校の決勝再試合の時の駒大苫小牧高校の主将、本間篤史さんなど多岐にわたります。

そのような中で、大会9日目にあたる13日の始球式には東邦高校を準優勝に導いた当時の1年生エースで「バンビ」の愛称で時の人となった坂本佳一さんが始球式を務めます。

今回は坂本佳一さんの現在とバンビと呼ばれた理由、当時の成績についてシェアしたいと思います。

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坂本佳一の現在は?バンビと呼ばれた理由は?

現在、坂本佳一さんは地元愛知県名古屋市に本社を置く、岡谷鋼機の本店長室付室長に勤めています。

坂本さんは東邦高校卒業後法政大学に進学し、さらに法政大学卒業後は社会人野球の日本鋼管(現:JFE西日本)に進みましたが、思うような結果を残すことが出来ず、プロ入りせずに社会人野球を引退しました。

しかし、野球から完全に離れているわけでもなく、岡谷鋼機に勤めている傍らで、NHK高校野球のテレビ・ラジオの解説をしたり、NPO法人「フィールドオブドリームズ」の理事長として野球の普及活動を行ったり、自身の体験談を講演したりしています。

また、坂本さんが「バンビ」の愛称で知られるようになった理由は当時15歳の坂本さんが身長176cm、体重62㎏と野球選手としては華奢な体格であり、細長い首をしていたことが由来です。

なお、この「バンビ」という愛称は大会終了後に定着した愛称であり、大会期間中は「黒ヅル君」(日焼けした姿と首が長いことに由来)と呼ばれていました

こうした華奢な体格でひたむきに投げる1年生エースに対していわば判官贔屓な視線も合わさり、瞬く間に甲子園のアイドル投手と化したのです。

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坂本佳一の成績は?

坂本佳一さんは東邦高校卒業後、法政大学、そして日本鋼管で野球を続けましたが、日本鋼管では2年で社会人野球を引退しました。

原因としては法政大学在学中にイップスに陥ったことが挙げられます。

ここでは1977年の東邦高校における坂本さんの成績をみていきましょう。

まず坂本さんはこの年は背番号1のエースでしたが、中学時代までは外野手の控えで投手を始めたのが高校に入ってからということなので実質4~5ヶ月しか投手としての経験がありません。

しかし、坂本さんは直球やシュート、カーブのコンビネーションと球を低めに集めることで相手打線を翻弄しました。

初戦となる2回戦高松商業高校戦では5安打2失点に抑え、続く3回戦、準々決勝の黒沢尻工業高校と熊本工業戦では連続完封に抑えました。

準決勝となる強打で有名だった大鉄高校相手に3失点したものの、先輩の支えもあり、5-3で決勝に勝ち上がりました。

そして、決勝の東洋大姫路高校戦では、1-1のまま延長戦にもつれこみ、坂本さんが投げた158球目の外角低めを狙った直球が高めに浮いて、それを相手の4番打者安田選手がラッキーゾーンへと運びサヨナラ3ランとなり1-4で東邦高校が負けました。

坂本さんは全5試合を一人で投げ切り、総投球数は663球でした。

高校野球でも投手の分業制や連投させないように配慮する学校が増えてきましたから、坂本さんの5試合連続完投は今では考えられないことですね。

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3.ネットの反応まとめ

正座して拝見いたします。感涙もの
坂本佳一、バンビくん…子供心ながら好きだった
やっぱいい男やな
坂本佳一さんが始球式する日、第一試合の解説は大矢(正成)さんだったらいいなあ
大好きで追っかけしてたなあ、懐かしい
東邦の坂本佳一呼ぶあたりガチ具合が伺える
すごい、13日に坂本佳一さんが始球式!ファンレター出したことある
当時凄い人気で彼が乗ってる地下鉄だけ激込みだった
女性週刊誌にも載ってたよね
坂本佳一さんが今どんな感じになっているか気になるわ~
坂本佳一さんって出場1回で伝説になったってことだよね

甲子園には「怪物」や「怪童」と呼ばれた選手がいる一方で、坂本さんのようなアイドル球児のような選手も現れ時にブームになりました。

三沢高校の太田幸司、鹿児島実業の定岡正二、早稲田実業の荒木大輔、斎藤佑樹などが典型例ですが、大半はそこに悲劇性も加わります。

ただ、ここで挙げた4人とは異なり、坂本さんが甲子園出場したのが後にも先にもこの1回限りであることが凄い所ですね。